Singer Song Writer Kyoko Kimura|木村恭子オフィシャルサイト

シンガーソングライター、マリンバ奏者、木村恭子のオフィシャルサイトです。

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PROFILE

木村恭子(実名、及び活動名)

木村恭子

アーテスト名/きやきょうこ:Kiya Kyoko

芸名/KYOKO Sound Laboratory(キョウコ サウンド ラボラトリー)
↑NHK邦楽オーディション合格デビューアーティスト名です。
実名(本名)/木村恭子・1971年1月20日生まれ
(JASRAC日本音楽著作権協会正会員正式筆名ペンネーム、及び活動名、芸名/木谷恭子(きやきょうこ)、木谷響羽子(きやきょうこ)、木屋響子(きやきょうこ)木哉響子(きやきょうこ)(Kiyakyoko, Kiya Kyoko, KYOKO KIYA、Kyoko Kiya, KIYA KYOKO など英字 ) KYOKO<KYOKO Sound Laboratory>、安倍恭子

「芸名活動名は臨機応変に使い分けて、音楽活動をしています。」

木村恭子KYOKO Sound Laboratory 木村恭子Kyoko Kimura


木村恭子マリンバMarimbaPf弾語り(Singer Song Writer Musician)
KYOKO Kimura
木村恭子KYOKO
KYOKO Sound LaboratoryのKYOKO
KYOKO Sound Laboratory(キョウコ サウンド ラボラトリー)



木村恭子(実名、及び活動名)
<芸名/KYOKO Sound Laboratory(キョウコ サウンド ラボラトリー)←NHK邦楽オーディション合格デビューアーチスト名です。(実名(本名)/木村恭子・1971年1月20日生まれ
(JASRAC日本音楽著作権協会正会員正式筆名ペンネーム、及び活動名(実父社長である木村英俊から名前ペンネーム芸名を命令された)/木谷恭子
(きやきょうこ)木谷響羽子(きやきょう木屋響子(きやきょうこ)木哉響子(きやきょうこ)(Kiyakyoko, Kiya Kyoko, KYOKO KIYA、Kyoko Kiya, KIYA KYOKO など英字 ) KYOKO<KYOKO Sound Laboratory>

芸名活動名は臨機応変に使い分けて、音楽活動をしています。


シンガーソングライターとして、作詞、作曲、歌、編曲(シンセプログラミング&シーケンス)MIX&Mastering(時と場合によってエンジニアとともにRecordingするマリンバ、ピアノ自作曲弾き語り などのアーチスト活動しています。
(日本演奏家連盟正会員、日本音楽著作権協会正会員)


2013年 10月、東京浅草名流祭にて実母である安倍圭子と共演したことから追加芸名・安倍恭子(実母の旧姓を継承)としてマリンバを演奏しました。(曾祖父は安倍午生)
 

   
1971年1月20日 出生名・木村恭子 東京都世田谷区三宿病院自衛隊病院で生まれる (実父・木村英俊、実母・木村圭子は旧姓である安倍圭子として世界的マリンバ演奏者として活動している) 

1歳からピアノ、3歳からマリンバ等の楽器をはじめる
 東京都世田谷区立 弦巻小学校、弦巻中学校 卒業、目黒星美学園高等学校入学
1987年ー1988年 NHK洋楽オーディション合格、FMリサイタル出演 実名・木村恭子マリンバデビュー 
1989年 目黒星美学園高等学校卒業
桐朋学園大学音楽学部入学
日本打楽器協会新人演奏会オーディション合格出演
1989 第4回国際芸術連盟新人オーディション合格コンサート出演
1990年 日本現代音楽協会主催コンサート出演(末吉保雄先生のミラージュを演奏)
1991年 「遠い星をみつめて」で実名の木村恭子で深夜番組からシンガーソングライターとしてデビューする(日本コロムビア)
1992年 テレビ東京・ドラマ「パステルLOVE」シリーズ主題歌「人魚の夢」「真っ白い贈り物」などの曲を含む) 実名・木村恭子で音楽制作をする。ほか「MY Home Town」「PurpleTonight」など。この頃から多重コーラスをこころみようと決意し、実験的にやってみた。このシリーズのテレビにも出演。オーケストラアレンジャーは淡海悟郎さんや風戸慎介(川辺真一)さん西澤健治さんなど。コーラスアレンジをやらさせていただいた。この頃多重コーラスということに誰も関心がなく、その当時デュレクターの小暮一雄さんに「なんとか、スタジオの時間を延ばしてコーラスをいれされてもらいたい」とお願いしながら、前作のデビュー作では実現できなかった木村恭子のひとり多重コーラス録音を実現してみた。
1993年 桐朋学園大学音楽学部卒業、卒業演奏会、読売新人演奏会出演、同大学研究科に在籍
マリンバを実母の安倍圭子先生師事、パーカッションを小林美隆先生師事、ピアノを糸川満珠子先生師事(小学校2年生から本格的に習う) 柘植(室井)泰子先生(小学2年から)、八村美代子先生(中学3年から)師事<ソルフェージュ聴音楽典>
1993年 KYOKO Sound LaboratoryのKYOKO としてフォルテミュージックエンタテイメントFME(日本コロムビア)よりシングル「See You Again」でシンガーソングライターとしてデビュー
NHK邦楽オーディション合格
1993年  アルバム「グリーンな風の中で」リリース
1993年  FM東京主催「FM東京ホール」にてファースト・ライブ
1993年  FM大阪主催により大阪「アム・ホール」ライブ
1993年 シングル「私はピーコ」リリース 
 シングル「ひと粒の砂」リリース
1993年~95年  和歌山放送(月)~(金)22:50~23:00、FM三重毎週日曜にてレギュラーパーソナリティー「KYOKO Sound Laboratory」を勤める
1994年  アルバム「月の石がみている夢」リリース
1994年 千葉テレビ「歌のランチボックス」にKYOKO Sound LaboratoryのKYOKOとしてレギュラー出演、共演・川本恵子さん、ELLE さん
1994年~95年  ア・カペラ、ミニ・アルバム、「マリア<Maria>」リリース  
シングル「Kyrie」リリース (Nack5 Japanease Dream月間グランプリ受賞曲)
 
シングル「Inside Out」リリース 
シングル「PKパラダイス」(CD文庫)リリース 手塚治虫原作「火の鳥 黎明編」「火の鳥 未来編」(秋田書店CD文庫)
1994年~95年  テレビ朝日「プチCOM」(5分番組)の主題歌
1995年4月~9月  FM埼玉(Nack5 毎週日曜日 朝5:00~7:00)「KYOKO Sound Laboratory」2時間ラジオ番組のレギュラーパーソナリティーを勤める
1995年 シングル「ガイアの詩」リリース 
1996年  (有)ジーベック音楽出版にてインディーズとして活動(実父代表社長木村英俊に私の実名である木村恭子ではやるな。といわれ、私ひとりでもプロジェクトグループ名のようにするよういわれたためこの複雑なKYOKO Sound LaboratoryのKYOKOとしてして。その後は私が26歳になった頃、実父代表社長に「きや きょうこ」という意味不明のわからない名で活動するよう言われれ、20年以上も「きやきょうこ」として良い音楽を創ることだけに専心してきたが、私個人としては本当に苦心苦悩後々までした。その当時はペンネームですら私の実名である木村恭子と名乗るなといわれた。実父である木村英俊は「俺が木村だから、お前は木村というな。 きや きょうこ という姓と名でやれ。と私は親父に命令された。
このころから20年以上かけて全身全霊精一杯 きや きょうこ という名前で努力し音楽創りをしてきた
実父社長の曾祖父の地名が石川県かほく市気屋という場所から、とういうことらしい。
1995年 東京心理専門学院卒業(カウンセラーとしての勉強そして音楽に生かせたらと思った。)
同時に大学で音楽療法の講座も実習も兼ねて単位取得した、と今まで記載していたが。←教職課程単位証明書のため大学で確認したら、音楽療法の単位は取得していない事実が判明した。
当時、たまごっち公認テーマソングのプロモーションなどで忙しく、出席できず単位は取得しませんでした。
1996年9月13日  日暮里サニーホールにて 木村恭子(本名)マリンバリサイタル(国際芸術連盟主催)共演者・鈴木大介(ギター)さん、安藤吉田円(マリンバ)さん、川本恵子(朗読)さん、志野亜紀子(Sax)さん、
1997年  たまごっち公認テーマソング「あっちむいて どっちむいて たまごっち」小林亜星氏と共同で作品制作。作曲・小林亜星 作詞・木谷恭子(きやきょうこ)(ペンネームとして実父事務所社長木村英俊に命令されて一時的に改名する)バンダイミュージックからリリース
1997年  シングル「ジャスミンの眠る黄河の泡」リリース
1997~2000 ピアノ、マリンバなどの個人指導を自宅にてする。(2013年以降現在も継続中)
1998年  マキシシングル「Water Blue」リリース(ジャケット写真・水口博也)初セルフ・プロデュース作品はここから(今までのシンガーソングライターとしての作詞、作曲、歌、 のほかに編曲<シンセプログラミング&シーケンス>演奏、までひとりでおこなう。木谷響羽子(きやきょうこ)というペンネームへ改名する。Reco,Mixing Engineerは当初、芝浦スタジオの清水貞秀
1998年 11月10日 KYOKO Sound Laboratory木屋響子(本名・木村恭子)1992年テレビ東京深夜ドラマ「パステルLOVE」収録曲などを含む集大成アルバム「ガイアの歌」をリリース
1998年~2001年にかけ  東京にあるライブハウス(原宿クロコダイル、南青山マンダラ、吉祥寺マンダラⅡ、スターパインズカフェ、ラママなど にて単独ライブ活動を約月1回の割合で実施する。ライブではキーボードピアノ弾き語り・ 並びに、マリンバ弾き語り奏法を木屋響子(実名・木村恭子)独自で開発する
96年より芸名ペンネームを実父代表社長の木村英俊の命令で、きや きょうこ という名前にするよう言われ、漢字自体までも命令され、木哉響子にする予定が木屋響子(きやきょうこ)という漢字名になった。(ペンネーム改名暦・木谷恭子(きやきょうこ)木谷響羽子(きやきょうこ)木哉響子(きやきょうこ)木屋響子(きやきょうこ)<本名実名・木村恭子> 
1998~  短期間)  東京都渋谷区南青山読売カルチャーサロンにてシンガーソングライターコースを開設。
発声練習、曲つくりの技法などの講座、レコーディング講座、
生徒のつくった曲に、私がシンセサイザーやHDなど簡単な機材を持ち込み、教室その場で編曲(簡単な打ち込み&ミックス)などをし、そのカラオケをもとに生徒は自らの歌声を教室でレコーディングをし、最終的に生徒たちの曲をCDーRの完成品として手渡す、という独特のクラスを奉仕的精神により実施した。
2000年  シングル「Midnight Calling」リリース(発声法や曲風など今までとは変える実験的試みをする)
2001年  アルバム「All My Song Is All My Life」リリース
2001年  シングル「前略Dear」リリース
個人ホームページ www.kiyakyoko.com新たに開設(99年頃より実験的にアップロード開始途中、改ざん事件などもあり苦悩した。
2002年  シングル(反戦ソングを含む)「Be Alive」リリース   
2002年  アルバム「See You Again」を(有)ジーベック音楽出版より再発売
2002年  渡仏米英
2002年  手塚治虫原作「火の鳥 EDENA創世記」リリース
2003年 ジャズピアノをかじるためバークレーカレッジに1セメスター(1学期)だけ学生として出席してみた。ボストン。Bob Winter先生師事。
マキシシングル「KSL MU」をリリース(フランス、イギリス、ボストン録音)
2003年  アルバム小林亜星&木屋響子&三輪勝恵「あっちむいて どっちむいて ピヨッち」リリース(小林亜星(作曲)、木屋響子(作詞)楽曲含む)
2003年
ニューヨーク滞在中、独学でミックス&マスタリングを習得
2003年  マキシシングル「Prayer」リリース(ニューヨーク録音)
2004年  ジーベック音楽出版ホームページ www.xebecmoc.comがスタート
2004年  マキシ・シングル「3/8Forests」リリース 木屋響子(きやきょうこ)With上野洋子(上野洋子ヴォーカル参加)
2004年  アルバム「PrayerⅡ」リリース(NY)
2004年6月  「パソコン・アニメ劇場~私はピーコ(愛称)ピヨッち」がスタート 毎月新作音楽制作
2004年 9月  帰国 
2004年~2006年3月まで  FM三重毎週土曜日24:30~25:00「木屋響子Sound Laboratory」パーソナリティーをつとめる。
2004年 10月  
    
マキシシングル手塚治虫原作「がらくたの歌」リリース(手塚治虫(作詞)木屋響子(作曲)などの楽曲含む)
2004年 11月  マキシシングル(反戦ソングを含む)「雨にうたれてもLove&Peace」リリース
2004年 ア・カペラ ニミ・アルバム「マリア<Maria>」再リリース
2005年  株バーディー企画によるCDドラマ「スペースエクソシスト 地球が憑かれた日」音楽制作
2005年  マキシシングル「アラベスク模様の運命」リリース
2005年 アルバム「月の石がみている夢」(ボーナストラック・Stay On The Earth入り)再リリース
2005年  アルバム「All My Song Is All My Life05」リリース 
セルフRe-Mixを含む Re-mastering 新曲追加盤
2006年 4月10日 
   
手塚治虫原作 歌・水木一郎、木屋響子(きやきょうこ)「ブラックジャック」へのオマージュ(ブラックジャックといえば水木一郎さんの声が浮かんできて楽曲を書いた。)リリース
2006年 12月10日 アルバム「Wind ~for driving」リリース
(自作曲のほかに、クラシック名曲をテクノポップ風にアレンジしてみたりマスタリングまで自分ひとりでで仕上げた)
2007年 9月11日 本名・木村恭子の芸名ペンネームである木屋響子(木谷響羽子、木谷恭子)KYOKO Sound Laboratoryは、今後07年秋より、かなり体調を崩し、1991年デビュー当時の実名本名の木村恭子、木村恭子KYOKO Sound Laboratoryとして活動を続けていくことを決意する
2007年 11月28日 木村恭子(KYOKO Sound Laboratory)アルバム「Lonely」XECY-1007リリース
2008年1月~12月 その後も自主公演ライブ継続中 (体調を崩し静養をしながら2006年8本以上の歯を失った事は悲劇だった後遺症 武蔵野市スイングホール、武蔵野市芸能劇場などで自作曲を発表
木村恭子ピアノ、マリンバ弾き語り
  
2009年4月~ AMラジオ日本1422khz 「木村恭子(他筆名芸名木谷恭子<きやきょうこ>、木谷響羽子<Kiya KYOKO>、木屋響子、KYOKO)KYOKO Sound Laboratory Time」5分というショートTalkをやってます。
毎週火曜日深夜2時10分頃から
2010年9月末にて終了。 
2009年6月25日 木村恭子KYOKO Sound Laboratoryアルバム「風の詩」XECY-1008 をリリース 今回はマスタリングエンジニアのもと日本コロムビアの保坂さん。(録音はすべて自宅宅録で当時2008年3月頃から賃貸で部屋を借りていたマンション、東京都武蔵野市中町1-2-3-302号室内にて宅録レコーディングにて仕上げた、が金庫に保管しておいたアメリカで購入したMastering用ソフトウェア盗難、その後治安悪く外出すると5分とたたぬうちに室内が荒らされ、倒れて武蔵野日赤に入院中すべての貴重品を盗まれる、武蔵野警察署に被害届を訴えてもなかなか聞き入れてもらえなかった)
2011年8月 ヒーリングヒプノ講座取得IHF(ベーシック、アドバンス) ヒーリングミュージックに役立たせるため。
  木屋響子本名・木村恭子)芸名ペンネームの由来について。実父代表社長の木村英俊の祖先である曾祖父の木村梅松。石川県かほく市の気屋という地名の出身である。この地名の気屋の気を木村の木に変え木屋と、私が生まれる前に亡くなった祖父が決断したらしい。2011年、石川県かほく市油野市長にお会いしいろいろとお話をし、CDを渡した。
(実父社長の木村英俊が1997年 きや きょうこ という芸名で活動を命じた由来)
2012年7月1日 木村恭子KYOKO Sound Laboratory・Album「マリンバPf弾き語り」XECY-1009リリース
2013年10月19日 東京都港区神明いきいきプラザにて 安倍恭子 として マリンバ デゥオ(共演・安藤円)
2013年10月26日 東京新聞主催浅草公会堂名流祭に、マリンバ演奏・安倍恭子として出演
(実母・安倍圭子は突然よさこいソーランで即興踊りで参入)
  現在は本名の木村恭子、KYOKO Sound Laboratory・キョウコ サウンド ラボラトリー、
KYOKO Sound LaboratoryのKYOKO<キョウコ サウンド ラボラトリー>として
又、木村恭子KYOKOとして音楽活動中

 

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